☆ 言葉によって人間の運動方向が変わる不思議 ☆
なにが不思議かって、言葉という音波によって、
れっきとした物体である人間の運動方向が変わることほど変な現象はない。
物体の運動方向が変わるのは力を受けたときである。
F=ma
これがニュートンの運動方程式である。
いかなる物体もこの法則を逃れられない。
なおかつ、この式はベクトル式である。
つまり、力を受けた方向に物体は加速度を生じる。
しかるに!言葉は音波という空気の密度波であり、広がる現象なのである。ベクトルではない。
多少力を及ぼすかも知れないが、そんなもので物体が動いた試しはない。
音で動く車、あるかそんなもの。
音で飛ぶ飛行機、子供が「ぶーん」といって手を広げるだけだ。
かように、音では物体は進んだりはしないのだ。
超音波モータ。
あったね、そんなもの。うーん、ちょっと、参ったな。
☆
すこし、まじめに議論しよう。
運動量保存則は、完全にやぶっている。
「右に曲がれ」
聴いた瞬間、歩いていた人が急に右に運動方向をかえる。
「走れ」
歩いていた人が急には知り始める。
これらの現象は、すべて速度の変化である。つまり、運動量変化である。
運動量変化はふつう他の物体からの力で生じる。
このとき、力を与えた第2の物体の運動量を含めて、
全体の運動量の総和が不変である。
運動量保存則が厳密に成り立つ例は、
飛んできたサッカーボールを選手の頭がヘッディングでシュートするようなときだ。
あるいは、ボールを持って走る選手を、敵の選手が別の方向から走ってきてタックルするときだ。
すべて、明らかな保存則が成り立つ。
ボクシングの例では、グラブをはめて少し重くなった拳が、
かなりな速度で相手の顔に当たると、手の速度は落ち、相手の頭が動き出す。
これらが、運動量保存則だ。
鳥も、飛行機もスペースシャトルもすべて、反対方向に空気を押し、ガスを噴射して、
その逆運動量をもらっているから飛べるのである。
「でていけ」
言葉でない場合のはたらきかけを「実力行使」という。
いって訊かない場合にとる最終手段がこれだ。
☆
ここらへんで、ようやく問題点が把握されたことだろう。
問題の核心は「言葉」の機能である。
言葉の機能は文化的な奥行きがある。
モラルの問題がある。
上の二つの言葉を聞いても、
影響されない人もいるし、される人もいる。
「右」「曲がる」「走る」という言葉の意味を、
聴いて言葉通りにしたがった人は「教育をされている」という。
「教育をされている」
これはどういうことだろう。
まず、すぐにいえることは、過去に行ってきた行為の集積結果である。
ここには時間の流れ、経緯が大切である。
ひとが、赤ん坊から成長する過程で受けるすべての事柄が、言葉の機能をつくりあげる。
この場合、その成果は人によって、まちまちである。
だが、いま問題にしているのは、そうした程度の問題ではない。
声の大きさや、発せられた距離に関係なく効力を発揮する、言葉の威力である。
「言葉は、力たり得るのか。」
この問いを、普通に発すると、何の疑問もない。
注意しなければいけないのは、この場合、力たり得るのは、相手が人間の場合だけである。
☆
相互作用という物理用語がある。
過去に受けたすべての相互作用の結果が「いうことを訊く」と言うことである。
わたしが、不思議でならないのは、言葉と、教育がベクトルでないことだ。
つまり、物理量ではない。
人間にはそのような物理量でないもので動きを変える
へんな習性があるということだ。
じつに、へんだ。
☆
この謎は、結局
精神というものの不思議さということなのだろう。
じつは、よく考えてみたら、精神があると人間は
外力(外的刺激)がなくとも勝手に運動方向を変えるではないか。
さらに、動物は皆この手の運動をしている。
まいったね、手に負えないことに気が付いた。