私の部屋は三浦半島のY市に住んでいた当時、階にあり、腰窓の外のところにコンパネで作った箱が置いてありました。これは、中が半分に仕切られており2世帯分の野良猫用のアパートになっておりました。野良猫は下水溝や電気温水器の上とか止めた車のエンジンルームの中などで冬の寒さをしのぐわけですが、安心して暮らせる場所など持っていません。夏の間はどこでも過ごせるでしょうが、真冬はそうはいきません。それで、入り口が狭く、猫がかろうじて通れるぐらいの大きさの入り口を持った巣箱をつくってやったのです。野良猫はいっぱいいるので、1,2匹助けても気休めぐらいにしかなりませんが、それでも、いろいろな事情で困窮した猫もいるでしょう、そうした猫が運よく雨風がしのげる場所を発見し、確保できれば、いくらか慰められるというものです。その上になぽちゃん式自動給仕器(後述)が置いてあります。こちらは、住みついた猫だけでなく、いろいろな野良猫が空腹を癒やしに来ていました。
 
 たくさん野良猫が、私の部屋の窓の外におかれた餌台にきて、日夜を問わず餌があれば食べて、去っていきます。野良猫が生きていける場所というのは、餌がもらえる場所なのです。冬になると、餌はなくなりますからね。

野良猫ものがたり
そもそも、猫の歴史は平安時代に遡りるそうです。

はじめは日本にはいなかったので、舶来だそうです。ですから、お金持ちしか飼えず、犬と同じようにひもでつながれていました。
 あるとき、猫をひもでつないではいけないということを言うお殿様があらわれました。すると、猫はネズミを捕るようになり、自然とネズミが減り、米倉からネズミの被害が減り、人々は猫に大変感謝し、猫を大事にするようになったと云います。
 このようにして、猫を飼うと米倉を守れると云うことで、猫はいきなりブームになりました。ちなみに、ヨーロッパでは、ペストが大流行した中世に、ペスト菌を媒介するネズミを捕ってくれる猫は大変重宝され、こちらも猫がペットとして重宝がられたという話です。
 
 つい最近まで、犬も、猫も放し飼いでした。それは、いずれも野生動物やネズミから農作物を守るためです。現代ではどちらもいなくなり、必然的に犬と猫は愛玩動物としてだけの存在になったのです。そして、ペットを飼わない人と飼う人に分かれ、両者は排他的になるのも当然の過程です。犬はひもに繋がれ、猫は犬に閉じこめられました。この状態は本来不自然です。やがて、飼えなくなったりした成体も、生まれてしまった赤ちゃんも、処分に困って捨てる人が出てきます。ふつうなら、野生動物ですから、何とか生き延びた犬や猫は、やがて野良犬になり、野良猫になります。昭和の前半までは野良犬は結構いました。田舎ではハンターとはぐれた猟犬が野良犬になりました。
 犬は元来おとなしい愛情に満ちたやさしい動物ですが、心ない人間に追われたり石を投げられたりしているうちに人間嫌いになるのも出てくるでしょう。そのうち、たまたま人を噛む事件も起こり、放し飼いは禁じられ、飼い主のない犬は捕獲され、いつの間にか街角から犬は消えました。言葉のない犬には人間のような教育は出来ず、従って、しゃべれないので面接をするわけにも行かず、良い犬か悪い犬化の判断がつきませんから、一律に扱われ、すべての犬は繋ぐか殺すかの二者択一になってしまったのです。人間の場合は、悪い人間はたいがいしゃべらせれば正体がばれますので悪い人間だけ逮捕し、ふつうの人間は野放しです。人間もしゃべれなかったら同じことになることでしょう。

 一方、猫は犬のようにはかみつき事故もなく、元々非力ですから危険視されなかったので、放置され、やがて、餌が確保できる場所でほそぼそと生き残り、”野良猫”と呼ばれるようになりました。夜行性というのもあったのでしょう。

 さて、野良猫ですから、当然、ご都合主義の人間による避妊手術も去勢手術も受けておりません。当然春が来ればさかりが付き、雌猫は孕み、やがて赤ちゃん猫が生まれます。
 生まれた赤ちゃんは、お乳があまりでない栄養不足の野良母猫により、本能的に間引きされ、2匹ほどに絞られます。ですから、雄何匹と雌猫1匹からは2匹ほどがシーズンごとに生まれますが、やはり、その後も生存競争で数は減り、その地域で生きられる数は、とれる餌の量で決まります。猫同士は様子をうかがいながら、やがて、雄猫は他の雄猫を放逐する算段にかかります。こうして、生殖活動と生存競争のテリトリー争いは過酷を極めていくのです。
 
 さて、ふつうならあまり増えませんが、かわいい赤ちゃん猫が鳴いていると、どうしても可哀想なので餌をやる人も出てきます。これも、人情というもの、餌が豊かになれば、それだけ生きられる数も増える理屈です。

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猫の歴史
 なちよ丸はそういった野良猫の中の、近所にいた一番小さな子猫でした。左の写真を見てもらえば、その理由が少しわかると思いますが、私が発見した時、片眼が半分つぶれた状態で、風邪もひいていたので鼻が利かず、撒かれたエサがわからないようでした。兄弟たちが先を争って食いつく気配で餌をまかれた気配はわかるのでしょうが、可哀そうになちよ丸はうろうろしていました。自分も必死に探すのですが、一つも口には入りません。この様子を見て、この猫がひと際チビな理由がすぐにわかりました。栄養失調だったのです。

 このままでは、死ぬな、と、私は思いました。生まれてからよくここまで成長できたと不思議なくらいです。このままでは生き続けることはむずかしく、餓死も秒読みの段階です。そこで、保護することにしました。

 連れて帰り、エサをやろうとしましたが乾燥エサは食べられないようです。牛乳に浸して柔らかくし、口に入れてやらないとエサとはわからないのです。
 ともかく、風邪を治さないとだめだと思い、私が歯医者などでもらって使い残した抗生物質の錠剤を、体重換算で小さく砕いて与えてみました。体重比で見当つけ、1kgもなさそうなので、ほんのひとかけらの粒を口に入れ、水で飲みこませました。獣医ではないので、それしか方法がなかったからですが、この手当てにより、徐々に風邪は収まり、鼻を塞いでいた塊もとれて、ようやく、自分でエサを口にするようになっていきました。猫は匂いがしないとたとえ生の刺身でも食べようとはしないものです。次に、目の手当ですが、これも、抗生物質のおかげか、徐々に治っていきました。はじめは毛が目の中に入り、涙がでていて、目やにで目がつぶれていたらしいのです。目の周辺の毛を鋏で切り取り、目に入らないようにしました。この二つの手当で、1か月ほどかかりましたが、ようやく、正常な子猫になりました。それからは、安定した栄養状態が確保されたので、順調に成長していきました。
なちよ丸物語 (野良猫の現実)
横浜の港の見える公園で保護した”黒猫ハナコ”です。公園のバラが咲いていた花壇の中から現れ、食べ物をねだって妻の足元に縋りついてきたのです。写真を撮っていた私を妻が呼び、行ってみると、その小さすぎる姿とかわいらしさにびっくりしました。でも、もしかすると、近くに親がいるかもしれないと思い、しばらく様子を見ることにしたのですが、それらしい黒猫はもう1匹いたのですが、しばらく匂いを嗅ぎあって去っていきました。あるいは母親だったかもしれませんが、野良猫の世界では、独りで生きていけないものは死ぬしかないのです。これを確認して、保護することにしました。家にはすでに1匹猫を飼っていましたが、オスの4歳の去勢猫でしたので、赤ちゃん猫は受け入れてもらえると思ったのです。拾った当初は手のひらに載るほどでした。
 家に連れて帰ると先住猫がびっくりして出迎えました。クンクンに匂いを嗅いで無関心を装います。連れて帰った当初、ハナコは生ごみの匂いがしました。それで、まずはお風呂に入れ、きれいに体を洗って、匂いを取りました。ハナコは雌猫でしたが、2匹はなかなか相手を警戒して打ち解けることはありませんでした。冬が来て寒くなって、ストーブに当たる季節になり、ようやく、2匹はくっついて寝るようになりましたが、人の手でくっつけないとだめでした。まあ、普通そうですわな。
 
ハナコと先住猫”どらちゃん”のバトル

ハナコは小さいわりに気が強い猫で、よく、通りかかった散歩中の犬などにもかかっていきました。
このバトルの写真は、だいぶ成長した後の姿ですが、最初のころはハナコはびっくりした子猫がよくやるような威嚇のポーズ「背伸びをして体を敵に横に向けトットットッと足踏みをして、自分を大きく見せる威嚇のポーズ」をよくやりました。なかなか可愛かったものです。
この子猫の威嚇のポーズは、その後、家で生まれた5匹の子猫ではみたことはありません。この子猫の威嚇のポーズは、赤ちゃんで生まれて育てられるという、愛情に恵まれた猫ではみられないものだと知りました。
黒猫ハナコ物語
なちよ丸がひもで繋がれているのは、外出訓練のためです。しばらく外に慣れたら解き放たれ、自由の身となります。

 この姿で、生まれ故郷といいますか、近所の兄弟のところへ行ったとき、すでに体の大きさが、兄弟より大きかったのをみて(下の写真)、愕然としたのを覚えております。一番最初の写真と見比べてください。野良猫は栄養状態が悪いので、体格は小さいままで止まっていました。なちよ丸が一番小さかったのに、飼われてエサをふんだんにもらえる環境に育ったら、こんなにも差が付くものかと、改めてショックを受けたものです。この写真では、すでにもう飼い猫然としており、”お坊ちゃん”ふうですね。しかし、良いことばかりは続かないものです。この後、なちよ丸は野良猫にいじめられて、どこかに追いやられ、帰って来なくなっってしまいました。保護してから半年もたたない春のことでした。いちばんハンサムな美形の雄猫だったの、残念な結果になってしまいました。

 猫が帰ってこなくなるのは、”迷子”などではなく、野良猫によるテリトリー争いに負けてどこまでも追いかけられ、帰ってこれなくなるというのが最大の原因なのです。その後も、我が家の猫の大半はそれが原因でだんだんいなくなりました。
上の3連の写真の一番左は、餌箱に食べに来た野良の母猫が、その前に来ていた子猫と出会ってしまい、子猫がいつものように母親に甘えようとし、母猫は怒って子猫を拒否しているシーンです。つまり、野良猫の世界では、一度離れた子猫はもう母親に拒絶され、独りで生きて行かなければならないという、厳しい子離れの儀式の現場です。最後の右の写真で、子猫が悲しそうにうつむいている姿を見てください。このときに子猫も悟り、親離れをした瞬間でした。しかし、親の表情にも、一抹の寂しさがありますね。
家に当初はこんなに小さかったんですよ。栄養不良で、頭の大きさに比し体がネズミのように小さいことを見てください。