緑内障の克服
2018年8月25日 平井則行
本文

2018年の6月25日から突然、毎日、たくさん歩くようになりました。

 最近、やけに血圧が上がり、170/102とか、とんでもない値が出て、そういえば少しめまいはするし、一念発起して、生活態度を改めることにしたのです。それと、もう一つ深刻な問題を解決するためです。

 およそ約30年前、ひどい風邪をひいたときに、視野に異常を覚え、霞んで見えるので眼医者に行ったら緑内障だと診断されました。そして、眼圧を下げる点眼とかレーザーの処置を受け始めました。しかし、風邪が治ると目の霞も軽減したのと、目薬が合わなかったこともあり、いつの間にか通院をやめてしまい、緑内障は20年ほど放っておきました。もともと近視がひどくて、免許の度に0.7がぎりぎりでパスしていたので、近視の方が重要課題だったのです。この頃は目を訓練すれば近視は治ると信じておりましたので、普段は度の弱い眼鏡をかけ、頑張っていたものです。でも、加齢とともに目の遠近調節力は衰え、だんだん視力は落ちていきました。60歳の定年前の最後の運転免許の更新時に、とうとういくら眼鏡の度を上げてもパスしなくなり、思い余ったその足で中央眼科に飛び込み、レーシックをしてくれと泣きつきました。ところが、緑内障の患者は、エキシマ・レーザーで角膜を薄く削ると、眼圧が正しく出なくなるのでできないと断られました。そこで、なんとか眼科医の精密な調整になる眼鏡の処方箋をつくってもらい、近くの眼鏡店で作った眼鏡でかろうじて受かりましたが、緑内障が進行していたのでこの治療だけが結局再開することになったわけです。
 ところで、目のいいひとはわからないと思いますが、強度近視を矯正する眼鏡は−10ジオプトリーとかの焦点距離の短い、10cmが無限遠に見えるようなコップの底のような凹レンズをかけるのですが、これは視力は出るかもしれませんが、実は、ガリレオ望遠鏡を逆にのぞいた時のようになり、ものが小さく遠くに見えるのです。これで、0.7のランドル環をみると、非常に小さくて、もう、限界を感じました。これ以上近視が進むと運転免許をあきらめなくてはいけなくなります。転居先で眼科医にフェイキックという眼内コンタクトレンズという方法で、本来の目のレンズの前に人口のレンズを入れる方法を見つけ、それをやってくれと言ったら、今度は、あなたの場合、白内障もあるので、その手術をすれば人工レンズを入れるので近視は完ぺきに治るといわれ、この手術を受けたわけです。これは以前この掲示板で報告した通り、視力はたまげるほど改善し、ピンと調節力はないものの、左目1.5右目1.2という驚くべき成果が上がりました。しかも、いうまでもなく白内障が解消し、視野が非常に明るくなったものです。テレビやディスプレイの輝度を以前の半分以下に下げないとまぶしく感じるほどでした。
 さて、本題はここからです。これと同時に、眼圧を下げるために右目の方だけ緑内障手術を受けたのですが、癒着で眼房水の出口がふさがり、手術した当初だけ8とか12とか非常に低い眼圧だったのですが、半年もしないうちに眼圧が上がり始め、結局、手術していない左目と同じ点眼をするようになってしまいました。眼科医はもう一回手術しなければいけないというのですが、どうも納得がいきません。何回手術をしても、また、すぐに癒着して、眼圧が上がるのは火を見るより明らかです。これまで素直な患者のつもりでしたが、ついに、我慢の限界が来ました。そして、ネット検索で毎日1万3000歩の散歩をすると眼圧が劇的に下がるという記事に出会いました。2017年の眼科学会に名古屋大学の研究チームが散歩を続けることにより眼圧が劇的に下がるエビデンスがあったという発表をしたことがわかりましたので、早速これに飛びつき、これをやりたい、再手術はしないと宣言したのですが、眼科医にとってはいきなり治療方針を批判されたようなもので、到底受け入れてもらえず、喧嘩別れのようになって、眼科医の方から治療を放棄してしまいました。

 緑内障手術を受けたくない理由はもうひとつあります。

 この手術をすると、どうも、視力が出ないようです。3年前の最初の手術のときにも言われたことでしたが、脈絡膜の中にパイプを挿入し、眼房水の通り道を着けるわけですが、これが、微妙に角膜を変形し、視力が出ません。白内障の手術で人工レンズを両方の目に同じように入れてあるので、視力が同じように出てもおかしくないのですが、左目は1.5,右目が1.2です。緑内障の程度がひどい右目を優先して緑内症手術をしたのでした。これをしていなければ両方とも1.5だったのではないかといまでは残念に思います。現在、視力が少し下がって、最後の視力検査では左が1.2,右が1.0になってしまいました。

 手術をした当初は、右目の眼圧は8とか12という、非常に低い値でしたが1年もしないうちに徐々に眼圧が上がってきて、とうとう左目と同じような眼圧16とか18になってしまったのです。眼科医はパイプの目詰まりを疑い、軽い手術で、パイプの掃除をしたのですが、そもそも、パイプを埋めた部分の癒着の結果、出口を失ってしまったようなのです。それで、再手術をしなければいけないと、眼科医は宣言しました。上述したように、これは、どうにも納得がいきません。1回目の手術は失敗だったのか。1年もしないうちに、眼圧が上がってきてしまう手術では、今後、死ぬまで毎年手術しなくてはなりません。癒着は避けられないというのです。
 そんなバカな!20万もかかる手術を毎年するのか!毎年ではないとしても長く持って3年しかもたない効力の手術など、2度とするものかと思いました。ネットで検索すると、似たような人がいるようです。私と同じように、緑内障の手術をしても、再び眼圧が上がってきて、点眼薬も3種類さしても眼圧が下がらなくなり、再手術を宣言された人です。その人が別の眼科医に駆け込み、なんとかならないかと訴えたことから、新しい眼科医が勧めた治療方法がつぎの治療法でした。

1.毎日1万3000歩のウォーキング
2.毎晩9時には就寝すること
3.粗食に努めること
 
 私は、このうち、1番目のウォーキングに、特に科学的な効力があると思いました。

 長時間の散歩により眼圧が下がるというこの方法を、私は直感的に信じる根拠があります。眼圧は目玉を球形に保つという働きのほかに、もともとピント調節に関係があると思っています。

余談になりますが、18世紀の数学者オイラーは強度の近視で始め右目を失明し、さらに両眼を失明した後76歳で亡くなるまで18年も研究を続けたという超人的な天才ですが、おそらく黄斑症か緑内障で失明したのでしょう。どちらも、近距離を見続けるために眼圧が非常に高くなり、その結果の失明と思われます。

 なぜ、近距離を見続けると眼圧が上がるかというと、近距離にピントを合わせるためにレンズを前に繰り出す必要があり、この時のピンと調整方法の一つに眼圧を上げることがあるのだと私は信じています。その証拠に、私が白内障手術をするときに目の中に入れる人工レンズの焦点距離は、普通の人よりかなり長い焦点距離を入れる必要があったことです。私も、ずいぶんと近距離を見つめ続ける生活習慣を長期に持っていました。そのために、近距離にピントを合わせやすいように眼圧が高めに維持され続け、目玉の形が超軸方向に伸びてしまっていたのです。生き物は生活習慣に適応して自分の体を変化させる性質があります。瞬時のピンと調節は毛様体と呼ばれる組織かもしれませんが、長期的には眼圧です。ですから、眼圧を下げようとするには、また、長期的に、遠距離を見続けなければならないのです。その、一番良い方法が散歩なのです。

 散歩というのはいやおうなく遠距離を見続け、しかも、きょろきょろと眼球運動もします。この状況が眼圧を下げる方向に目を適応させるのだと思います。眼球運動により網膜の中の血管の流量も増え、視神経は元気になるでしょう。色々な距離を見ることは、目の健康を保つには必要なことです。遠くのものにピントを合わせ、きょろきょろすること、これが、散歩で眼圧が下がる結果をもたらします。九州大学と名古屋大学の眼科学会での発表はしっかりとしたエビデンス(明確な効果という証拠)があってのものです。2か月後には劇的に眼圧が下がり始め、1年後には正常眼圧になりました。そして、緑内障の点眼薬は必要なくなったということです。私は、理論的に、これは正しい治療方法だと思います。従来の常識はまったく誤った観念にとらわれています。眼圧を下げる点眼薬は、眼圧の原因となっている眼房水の生産を制限し、眼房水が外に流れ出やすくする働きを持ったものですが、眼房水という目にとっては必要不可欠なものを抑えるというのは、どうも、不自然なことで、当然副作用が起こります。目が充血するようです。充血するということは目が悲鳴を上げていることにほかなりません。
本来の健康な営みを妨げることになるからです。ですから、血流を維持できなくなるほどの高い眼圧でない限りは、眼圧を気にしなくてもいいのではないかと、私は思うのです。眼圧より重要で本質的なものは血流量なのです。ガムをかむと血流量が70%も上がるという研究もありますので、私はガムを噛みながら散歩を毎日やることにしたのです。山歩きもいいのですが、ちょっときついのが玉に傷で、運動のし過ぎも逆に一時的に血流量が下がるので、平地での散歩が良いようです。要は、遠くを見続けてきょろきょろすること、これが本質的に肝要だということです。
経過報告

2018年の6月下旬から散歩を始め、現時点2019年の5月9日でおよそ1年たちました。目の調子は良くて、少なくとも緑内障が進行している様子はありませんし、むしろ、視野の回復も感じられます。

 目薬をやめた当初、眼球運動をすると痛みがありましたが、それも皆無です。眼圧を下げる点眼薬はデュオトラバとアイファガンでしたが、散歩を始めた当初こそ2,3日空けてから念のためにアイファガンだけ1日に1回差し、目に不安を感じたときだけデュオトラバを差すという具合に、徐々に点眼をやめていきました。いきなりやめるのも不安だったからですが、眼房水の生産を制限するような薬を差すのは訓練の効率を遅らせると思ったからです。今では最後にいつ点眼をしたのも忘れたくらいで、8月か9月には完全にやめていたと記憶しています。現在は全く必要性を感じません。眼科医がこれを知ったら怒ることでしょうが、何より大事なのは患者本人の感覚だと思います。目の調子が非常に良いのです。

 測定はしていませんが、点眼していたときより視力は上がっているように思います。そして、1月頃から正月行事や庭木の剪定などで忙しい時期に、それまで本当に毎日歩いていたのですが、散歩を中断しても目の異常は感じなくなりましたので、検査はしていないものの高眼圧症はとりあえず直ったみたいです。

 さすがに70歳になりましたので、毎日1万5000歩以上も歩くと疲れます。最近は1週間に3日か4日しか歩かなくなりましたが、それでも問題はなさそうです。だいぶ歩きなれたので、散歩に出ると、どうしても1万6000歩とか1万8000歩とか歩きすぎるようになりました。これは、さすがに疲れが翌日に出ます。散歩から帰るとリクライニングシートに身を沈めて本を読み始めても、すぐに眠くなり、30分ほど居眠りをしてしまします。これは良いと思うのですが、ちょっとやりすぎかなとも感じ始めましたので、歩数は抑えて毎日軽く歩くようにした方が良いように思うようになりました。それと同時に、散歩の習慣をやめても良くなった感じもするのですが、歩くと、やはり、目がハッキリとして、あきらかに健康に良いように思いますので、極力、気が向き次第、散歩には出かけます。

 血圧も下がりました。毎日1万5000歩の散歩をするようになってからわずか2ヶ月で、市内の温泉に行った入浴後ですが、血圧を計ったら、なんと、上が107で下が68という驚くべき結果が出ました。まるで十代の女の子みたいな血圧ですよ!
 そんなわけで、もう血圧を測る気がしません。もちろん、血圧が高いという自覚症状もありません。(もっとも、高血圧には自覚症状はなく、サイレントキラーといわれている位なので、めまいや不整脈があったら、よほど重症なのですが。
 
 それと、これはもっと重要なことだと思うのですが、散歩を習慣化し始めてから、自律神経の失調症状、水をコップから飲むと噎せる、とか、寝ているときに呼吸が止まるという無呼吸症候群のようなことがなくなりました。この無呼吸症は、40代から始まり、その頃はストレスもあって頻繁に起こりました。リクライニングシートで寝ていると、大概起こり、50代から60代にかけてはこれで死ぬんではないかと思うぐらいでしたが、これが激減しました。最近ではほとんど起こりません。夜、トイレに何回も起きるという頻尿症もなくなったようです。つまり、散歩という適度な運動は、健康維持・改善にとって非常に効果的だということです。さらに、調子に乗って付け加えますと、昨今いろいろと問題になっている加齢による”認知症”なども、もしかすると改善するかも知れないと期待しています。すべては血行障害だとするならば、これに起因するすべての症状が散歩により改善するはずです。というのも、このところ記憶力が自覚的に良くなっているからです。JCOMでテレビを見ていますが、映画を外部のDVDレコーダーに録画予約をする場合は、番組の放送予定日時等を一気に記憶しないといけないのです。これが、散歩をし始めてからというもの、楽になりました。(注:JCOMのモデム内蔵のHDDや外付けUSB接続のHDDに録画予約する場合はダイレクトに番組を選ぶだけで予約できますが、ブルーディスク・レコーダー内蔵のHDDやそれに接続したUSB・外付けHDDへの録画は面倒です。これは記憶力の鍛錬にはなりますが。)

 たぶん、緑内障も、糖尿病や高血圧や無呼吸症候群などと同じで生活習慣病なのでしょう。医学的になぜ起こるのかわからないといわれているわけですから。私は、これらはすべて、自律神経の失調症候群であり、横並びで直ってしまうものだと断言します。いっさいの、生活習慣病の兆候が自覚的にですが、なくなりました。
 目の健康だけに限っても、パソコンやテレビのディスプレイは、白内障の手術後に感じたように、以前の輝度ではまぶしくて、明るさを最小にしないといけないぐらいに網膜の感度が上がり、ドライブはもちろんのこと、外出時には紫外線を99パーセント以上カットする保護眼鏡なしには歩けません。この保護めがねは、白内障の手術後に眼科で目の保護のために一時的にかけるよう言われたものですが、これは、とても良いものです。なにより、普通のサングラスよりも安く(健康保険で2800円)、しかも、完全に透明で、付けているのを忘れるほどです。私はその後も予備を含めてこの保護めがねを二つ買い、片方は予備で、もう片方を使い倒しております。ただ、これは普通の薬局では扱っておらず、眼科医院の近くの特定の調剤薬局でしか売っていません。

 紫外線は網膜にも良くないでしょう。以前、眼科医に、昨日外で作業しましたか?と検査後に言われたことがあります。なぜわかるのかと聞くと、網膜が日焼けをしているからだということです。網膜も日焼けをして加齢が進むのなら、紫外線防止眼鏡は必要でしょう。散歩に出かけるときは、夏は特に、日焼け防止を心がけます。私は、タオル1枚で顔を包み、サンバイザーを被り、腕には日焼け防止の手袋を付けて歩きます。タオルは顔全体を覆うように巻き付けますから、鼻と口の前には、呼吸しやすいようにすることと、吐いた息で眼鏡が曇らないように、口からの距離を少し離す柵のようなものを園芸用の緑色の針金で造りました。これを付けて歩くので、若干、見た目が奇抜な格好になりますが、目だけはよく見えて、人の印象というのは目で決まるらしく、他人はあまり以上には感じないようです。小学生なども私に会うとまじまじ見る子もいますが、おおむね、挨拶をしてくるので、外見は問題ないようです。恒例のご婦人なども挨拶してきますし、時には若い男も挨拶をしてくれました。いまのところ、この散歩中の姿に対し、挨拶をしてこないのは若い女の子ぐらいです。これは、また、違う理由でしょうが。
 話がそれましたが、緑内障は症状が止まったと宣言して良いようです。

ひとつ、付け加えておきます。
 ガムをかむと、眼球周りの血流量が40%上昇するという研究結果が報告されています。緑内障患者に対する通常の眼科の処方箋は唯一、眼圧を下げることです。つまり、網膜の毛細血管を圧迫している眼圧を下げ、網膜に栄養と酸素を送っている血流が増えることを期待するからです。本質は血流量が維持されることであり、眼圧というのは単なる目安に過ぎません。というわけで、私は特に散歩中はガムを噛むようになりました。これも、大変効果があります。

ご意見は下記のアドレスまで 
hirai_kjp@jcom.home.ne.jp
 または hirai_kjp@live.jp

ホームに戻る

左の写真は家から歩いて登りにいける丹沢山系の三の塔(標高1205m)山頂です。

 散歩を始めた当初は体力もなく、運動不足はまだ全然解消せず、この山の牛首からの登山道の最も傾斜が急激に増加する900m付近で意識が怪しくなりました。このまま登ると帰らぬ人になりそうなので登頂断念。夏真っ盛りでしたので熱中症でしょう。その後も懲りずに、やたらと登山に挑戦して、塔の岳(標高1494m)や鍋割り山(標高1273m)など、付近の山に登りました。あまり高くはないけれど、栗の木洞という三廻部の奥にある標高908mの山にはどういうわけか3回も登りましたが、丹沢の山は山道がかなり疲弊している感じがします。

 ひととおり主立った山を制覇したので現在は水無川の遊歩道の軽い散歩を歩いています。2018年の暮れまでは、本当に毎日、台風が来ようと雨が降ろうと1日も欠かさず歩いていました。半年間で歩かなかったのは孫が遊びに来る2,3日とマイコプラズマ肺炎というしゃれた病気に罹り寝込んだ1週間ほどです。

 
正月が終わり、孫たちも帰った1月6日に、戸沢という山奥の登山口から烏尾山経由で表尾根を歩こうとして登ったときの塔の岳からの帰路で見つけた小さなかわいい雪だるまです。こんな真冬でも丹沢登山は行われている証です。
 
 この登山ですが、最初の戸沢口からの登り口がよくわからず、登山道ではない尾根を登るという暴挙に出ました。とにかく一番高い尾根を登れば、そのうち登山道に出るだろうと多寡を括って登り始めたのですが、正規の登山道ではないところの危険さを思い知りました。とにかく急斜面で、足下は乾いた砂、手がかりはあまり大きくない岩と倒木、滑り落ちると50mは滑落していきそうで、生きた心地がしませんでした。烏尾山の登山道に出たときには意識が朦朧として、夢心地のような現実感喪失状態で、しばらくこの状態は続きました。幸いにも事故無く行者岳から新大日岳を通り、塔の岳山頂まで出られましたが、もう2度と、このような危険を冒すことはしないと心に誓いました。運が悪いと、このような行動で遭難するのです。この写真は、その記念みたいなものです。