DNA損傷の修復機能

日本物理学会の会誌3月号に表題の記事が載っていましたので解説しながら概略を紹介します。原著者は理化学研究所仁科加速器研究センターの泉雅子さんです。 DNA損傷の修復メカニズムの詳細な解説が中心で、細胞内で起こるDNAの自然損傷と放射線被爆による損傷の量的比較や、老化や発癌との関係、および今後の課題と問題点です。

いうまでもなく、これは福島第1原子力発電所の事故で環境に漏れた大量の放射性物質の生体に与える影響に対する、各研究機関が協力して活動している状況の一端です。

 学会誌8ページに亘る解説文で、物理学会の会員を対象としていますから、多少専門的ですが、生物化学分野ですので極度に専門化した素粒子論や物性論に比べれば遙かに専門外の人にも理解可能でした。
 解説はDNA損傷の修復メカニズムの詳細な解説が中心で、細胞内で起こるDNAの自然損傷と放射線被爆による損傷の量的比較や、老化や発癌との関係、および今後の課題と問題点です。 以下、私がところどころ記事を補足しながら紹介します。

放射能の影響を理解する上で「DNA」についての知識は欠かせませんが、ここでは一応基礎的なことは知っているものとして割愛します。ただ、ワトソンとクリックの二人が発見した二重らせん構造のDNAは、驚くべき巧妙な方法で自己を忠実に複製し、地球上の生命どころか、宇宙全体が同じ方式で生命を作っている可能性もあることなどを考えると、じつにこの方式は神秘的で驚異的です。生物の分野では「セントラル・ドグマ」というのだそうです。

 細胞は、その活動のために必要な情報を、DNAの必要な部分だけ読み取ったRNAという分子で出来たコピー「書類」を元に、タンパク質や酵素などを合成して活動しています。つまり、二重らせん構造のDNAという物質は、生命にとって最も大切なルール書であり、設計図であり、生命の根幹をなすものです。進化とは「DNA]の進化のことなのです。
 二重らせん構造をしているのは、遺伝情報が正確に忠実にコピーされていくために必要なシステムであって、それ自体は活動とは関係ありませんが、鍵と鍵穴の関係で分子が結合して作る遺伝情報を維持しています。
 これが、日常的にさまざまな原因で壊れるそうですが、生体内には進化の過程で獲得したいくつかのDNA修復機構があって、生物を「死」から守っています。
DNA損傷では、二重鎖の片方だけの切断(DNA一本鎖切断)と両側が切断されるケース(DNA二本鎖切断)とがあり、それぞれ別の修復機能が働きます。これも、分子レベルの生命現象で、DNAに処方箋が書いてあるのですから、本当に、生命とは不思議な現象といわなくてはなりません。これらの損傷は、放射線を浴びなくても、代謝による損傷は日常的に細胞1個当たり数千個から数万個という頻度で起きていて、二本鎖切断も0.1〜10カ所程度起きているのだそうです。これらの損傷を生体は「チェックポイント機構」というシステムで見つけ出し、損傷した部位を酵素で取り除き、部品の付け替えを行い、修理しますが、修理不可と判断すると、細胞活動の停止と増殖停止、アポトーシスを促します。つまり、壊れて正常な機能を失い悪さをするようになる前に、修復不能の細胞を廃棄するのだそうです。人間だと約70兆もの細胞がありますから、毎日、我々はこの莫大な数のDNA修復のお陰で生きていられるのですね。

DNA損傷とは、具体的には、アデニン、チミン、グアニン、シトシンという塩基の部分の二重らせん構造を作り上げる化学結合自体が、ヒドロキシ・ラジカル(・OH)やその相棒水素ラジカル(・H)、水和電子、過酸化水素、水素分子などで切れてしまうことを意味し、確かに、これらのラジカルなどはふんだんに細胞内にあるので、放射線を浴びなくとも風で瓦が飛ぶ以上に頻繁に起こりそうです。
 放射線は日本は少ない地域で、自然放射線量が年間1.5mSv(ミリ・シーベルト)/年、世界平均で2.4mSv、医療被曝が平均2.3mSv/年です。CTスキャンを受けると1回当たり10mSv/年だそうで、年間被爆量を1回で受けるようなものですね。でも、トータルで200mSvを超えなければ何の影響もないそうです。ちなみに職業被爆の基準値が100mSv/年です。

 放射線によるDNA破壊はX線、γ線という電磁波や高速電子のβ線等による電磁的な水分子のイオン化によるラジカルの発生という間接的影響と、陽子線、アルファ線、中性子線などの弾丸による直接破壊とがあります。
 また、現場で放射能を浴びる外部被爆と、放射性物質を体内に取り込んで長期間影響を受ける内部被爆とがあります。外部被爆では、限度を超えない場合は紫外線による日焼けと一緒で、そのときに死ななければ、損傷の回復により健康体に戻りますが、内部被爆の方が長期間に亘りDNA損傷を引き起こし続けるので心配です。

ところで、それとは別に、面白い話があります。
 
 閑話休題

 遺伝情報を担うDNAですが、人間の場合、遺伝子は長い進化の過程で突然変異を繰り返し、屋上屋を重ねた結果、イントロンと呼ばれる無意味綴りの遺伝子がなんと98%を占めるようになったとか。現在使われている意味のある遺伝子はわずか2パーセントで、こちらをエクソン配列といいます。イントロン配列に対応するアミノ酸配列は無いので、過去のゴミの堆積物なのです。このエクソン配列とイントロン配列の比率は、下等で原始的な生物ほど高く、人間のような後から出てきた生物では、ゴミの方が多いという話ですが、ある意味では、人間は過去の生物であった時に使っていた遺伝子のかけらを遺品として、あるいは博物館の陳列物として持っているといっても良いかも知れません。つまり、染色体の中に、進化の歴史博物館があるのです。

ところで、肝心なことを書き忘れていました。
 1年間20mSvを被爆したときの1日あたりのDNA損傷は1本鎖切断損傷で0.05カ所/細胞で。2本鎖切断の頻度は0.002カ所
/細胞ですから、いま世間で騒がれている放射線量だと、日常発生する代謝に伴うDNA損傷の数万分の一〜数千万分の一程度となります。
 これは実に驚くべき事実です。この事実は公表されていません。日常に起こる代謝によるDNA損傷、その蓄積による癌発生率の原因に比べて、放射能の影響は非常に小さくて問題になりません。

 遺伝子という分子言語は4つのATGCというヌクレオチドの順列組み合わせで出来ています。それぞれアデニン、チミン、グアニン、シトシンの頭文字です。このヌクレオチドは塩基ですからアミノ酸と結合します。したがって、ヌクレオチドの配列がアミノ酸配列を決定し、アミノ酸がたくさん結合したものがタンパク質ですから、そのアミノ酸配列がどういうタンパク質を作るか決定します。酵素も体の組織もタンパク質ですから、たとえば、豚と牛の肉の味はアミノ酸配列が決定しているのです。というわけで、DNA内のヌクレオチドの配列の違い、すなわち遺伝子の違いで豚肉と牛肉は味が違うのです。

 こういうアミノ酸の配列の違いは、アミノ酸の結合角の違いとなって現れますのでタンパク質の形が決定されます。ひとつでも違うアミノ酸が入ると捻れて形ががらっと変わります。これをタンパク質の高次構造といいます。免疫機構やチェックポイント機構はこれを検出します。DNA損傷を起こした染色体や、異常となったタンパク質を生産する細胞は簡単に見分けられ、排除されます。

1個の細胞内で、増殖に関わる遺伝子の部分に5〜6個のDNA損傷が修復されずに蓄積し、突然変異が起こることが癌の原因と考えられていますが、突然変異というのは、他の部分で正常な機能を維持していないと機能不全細胞と見なされ、上述したように細胞の活動停止、増殖の停止、アポトーシスという処置を施されますから免疫機能が正常ならば問題は起こりません。
 だから、癌になる確率は小さい。しかし、事実、癌になる人が多いのは、実は加齢による誤った遺伝情報の蓄積が原因だそうで、なんと、年齢の5〜6乗に比例した受癌率だそうです。


「生きることはベストを尽くすことである」と、誰かが言ったそうです。名言だと思います。今の場合、ベストとは、DNA損傷はやむを得ないこととしても、それを排除する免疫機能を衰えさせないことと解釈できます。
 免疫機能をベストな状態で保つには、無理をせず、余計なことをせず、ストレスを溜めない賢明な判断をして行動し、自分の周りの環境を楽しく生きることが出来るように努めることですね。
 健康維持という心身のメンテナンスですが、とどのつまりは、DNA損傷修復機能と同じことをやることになります。日々、細胞内で行なわれていることがベストなわけで、それでも癌になるとしたら、もう受け入れざるを得ない「人生の結論」です。
 「幸せ」を求めて活動すること自体が「代謝によるDNA損傷」を作りだすわけですから、病気になることは善でも悪でもなく、不幸でも何でもないことです。ただ、もし反省する余地があるとしたら、もう少し休めば良かったかな、という程度でしょう。
 私個人は現在健康体と思っていますが、かならずDNA損傷かそれに類する故障で死にます。死は誕生と同じで、対称的な現象であり、善悪を超越した事柄なのです。ですから、結論が出たわけではありません。

 ということは、年取って修復の誤りが蓄積し、それが悪さをする細胞として生き残り、免疫機構が排除しないうちに増殖して、ついには「癌」となって生体全体の終末を迎えることは、誰にとっても運命づけられたことであり、老衰死に次いで最も自然な死に方という認識に到達します。たとえ手術で患部を取り除いても、抗ガン剤で抑えたとしても、体全体にある細胞の一つ一つは、既にそういったDNA損傷を蓄積しているわけで、どこかが早晩癌を発症します。

 実はDNA損傷修復機構に大きく二通りあると言うことを述べましたが、一本鎖切断修復は二本鎖切断より比較的単純なのですが、人間のような高等動物で主として行われるのはそちらです。酵母菌とか、もっと小さな単細胞生物では厳密に修復しないと個体自体が死んでしまうので、一本鎖切断修復も二本鎖切断修復も、変な表現になりますが、真剣にやります。多細胞生物では二本鎖修復までやらなくても、だめなら廃棄すればいいわけで、いい加減なんだそうです。
 修復の結果、仮に不完全でも生き続けることになると、いつしか遺伝子の古いバージョンとして切り離される機構があるかも知れません。それがイントロンなのかな、と。

 チェックポイント機構のもっと高次な機能として、遺伝子のリフォーム機構があるのかも知れません。
 突然異変が種として保存されるためには生殖遺伝子にDNA損傷が起こる必要がありますが、卵原細胞と精原細胞は雌と雄の体の一部で生きており、卵と精子を生産し続けています。日々代謝をしているので、ここでも「代謝に伴うDNA損傷」は日常茶飯事です。ここでの突然変異が進化の原因に違いありません。このときに、重大なリフォームとなる突遠変異が起こるようなDNAの改変では、古いバージョンの保存が行われる可能性があります。だめなら元にも戻せるようにです。これは、かなり手の込んだ高次の修復機構で、本当にそんな機構があるのかどうかは今後の研究課題ですが、あるとするとイントロンが生まれます。

 生物の能力は神秘的であり自然の驚異です。進化は生物の生き残り作戦の基本的な手段です。進化をする道を持っていないと、種は環境の変化に対応できず、絶滅するからです。これが、いくつもの種で同時に普段からやっていないと、いつどこで、何が原因で絶滅に追いやられるか解りませんから、一つの種だけの利己的な問題ではありません。進化と呼ばれる突然変異は生物種全体の重大課題なのです。ですから、私は、この機構はあると思います。高等生物ほどイントロンを蓄積しているという事実が、その存在の証です。

 進化は、生き残る種を環境が選ぶので「自然選択」といいますが、必ずしも上等な種を生むとは限りません。つまり、最後に現れた人類が上等ということではありません。もっとも現在の環境に適応していて強いと言うだけです。

でも、残念なことに、イントロンが遺伝子の古いバージョンという私のアイデアは、実は現時点で間違いです。
 人間の遺伝子の暗号コード解読は既に終わっていて、イントロンが全くのめちゃくちゃなコードであることが解っています。対応するアミノ酸がないのです。(と、既に何十年も前に学生の時に生物学概論で聞きました。)

 RNAがDNA本体から遺伝コードを読み取り、ゴルジ体などでタンパク質合成するときの暗号読み取り作業には、「読み取り開始点」と「読み撮り終了点」を表すコードがDNAあるのですが、このBeginとEndのコードも4つのヌクレオチドの順列組み合わせで決まっており、解っております。専門家は周知のコードです。

 ですが、なぜイントロンが生まれたかの説明は必要です。そして、もしかすると、RNAが誤って解読しないように、古いバージョンの保存時に、敢えて暗号コードを一文字加えて、本当の意味でデジタル暗号化したのかも知れませんぜ。それが、もし解ると、極端に言えば、私等の染色体から恐竜が作れることになります。あるいは化け物が生まれますね。過去の「失敗作品」として、撤回したバージョンの再現です。恐ろしい生き物だったりして。ここまでいくと、SF怪奇小説めいてきますが、可能性はゼロではありません。なんと言っても、イントロンは98%もあり、現在、人間を生成しているエクソン配列遺伝子の50倍もあるんですからね。我々の体の中の、実在する98パーセントの謎です。


文責 平井則行
おまけ

DNAの共通度

では、生物間でどれくらいの比率でDNAの共通性があるかを調べてみると、なんと、動植物にかかわらず地球上の生物ではかなり共通度が高いのです。人間のDNAと比べて、

サル98.7%(差1.3%) 犬80% ナメクジやウニ 70% バナナ50% 

ちなみに、自分と他人との間の人間どうしでは99.9%(差 0.1%)です。そして、感慨深いことに、どれほどかけ離れた人格の人間同士でも 0.1%しか違わないということは、人間性のバリエーションはDNA以外の部分で、その差は決定されているということもできます。DNAがおなじでも、表現形質が異なるという、エピジェネティックスという分野が20世紀後半から盛んに研究されてきております。

 卑近な例を上げましょう。挿し木という方法で植物を増やすことができますが、この場合、同じ親木からとった差し穂でも、発育後の成長に著しい差が生まれることを知っています。遺伝子は全く同じはずのクローンなのに、これは不思議です。その原因として、DNAの配列だけでは決まらない細胞分裂時の環境でDNAの発現形質が異なるという事実です。植物の場合、植えられた土壌のpHや水分量、日の当たり具合の違いで、葉のクロロフィルの量的な差が生まれるのですが、これ自体は当然のような気もします。日当たりのよいところに植えられると、クロロフィルの生成が抑えられ、日陰に植えられると促進され、緑色の深さが大いに異なります。これは、DNAという遺伝情報だけで発現系が決まらないことを意味します。日の当たる場所ではクロロフィルが少なく生成され、根からの水分量に見合った光合成をするため葉の緑色が薄いのですが、水が豊富で日光が足らない環境では、光合成を増やすために緑色が深くなり、日陰での発育を維持されます。この、一見当たり前の事柄に生命体の遺伝情報の奥深さがある、ということに気が付かなければなりません。一見遺伝子を超えて発現した潜在能力も、実はもともと遺伝の仕組みに組み込まれていた仕掛けなのです。そもそもが、挿し木という切り離された枝に、水を吸い上げるための細胞である根に変化していく仕組みが隠されていなければならないのですが、これがエピジェネティックスです。もともと挿し木も取り木も接ぎ木も、植物細胞のすべてに備わっていた能力で、茎が根に変化するという生き残るために必要だった”危機管理システム”であるわけです。分化された細胞という言葉は、発現を一部分に限定するためのスクリーニング(DNAの一部分だけ発動するための遮蔽機構)された結果です。もしかすると、こういった隠されたプログラムはイントロン配列にこそあって、もしかすると暗号化(あるいは圧縮)されて入っていて、非常事態に、まだ発見されていない機構が発動され、RNAを通して必要なたんぱく質を合成し、問題を解決していくという現象が起きているのかもしれないのです。ES細胞もiPS細胞もある意味エピジェネチックな現象です。すべての細胞へ分化する分岐点を有効に持つ、あるいは分岐点に戻された細胞なわけで、何をどうすればそうなるのかという根本的な理論が解明されたとは言い難い状況でしょう。世間を騒がせたスタップ細胞なども、もしかすると、エピジェネチックな現象の一例で、まぐれだった可能性もありますが、根本的な理論なしの、手当たり次第で何かを発見しようとしているのが、残念ながら現状だと思います。

DNAは髪の毛の4万分の1という驚くべき細さですが、それを全部並べると、人間の身長とだいたい同じくらいの長さで、全ての細胞中のDNAを並べると約1044億kmとなり、地球と太陽の間を350回往復できるほどになります。この長さの意味することは、生命現象というものが目が眩むほどの深さで組み上げられたパズルである可能性です。そう簡単には解けないでしょう。イントロンがデジタル暗号化された遺伝情報だったら、暗号解読のキーワードもなしに、どうやって解くというのでしょう。そのキーワードは人間の考えつくものなのでしょうか。